中屋 一史
人間は何かを信じないと行動や発言できない存在である。
だから何を信じるのか、信心が大切なのである。低級思想宗教、間違った思想哲学宗教が、未だ殺し合いで国際紛争を解決しようとしている西洋、アラブなどのキリスト、ユダヤ、イスラムなどの思想哲学宗教に平和で安穏な世の中を創出する力のない事が眼前に明らかになっている。
仏とは生命なり!
信じようが信じまいが生命は仏=妙法蓮華経の当体なのである。
頭は妙
首は法
胸は蓮
腹は華
脚は経なり
妙法蓮華経の当体である生命は
善因善果報 悪因悪果報
人間は極善にもなれば極悪にもなる存在であり、
善報は、心に安楽を感じ、悪報は心に苦悩を生むのである。
生死生死を繰り返す永遠の存在である私たちは生命は因果の理法に貫かれている
だからこそ人生の目的である。幸せを感じたいのであれば他者をも仏の存在であるとみる他者尊敬の行動が仏道修行となるのである。
勿論朝晩の南無妙法蓮華経を唱えることによる
汚れた命を磨く修行があってこそではあるが。