細野ナターシャ
私は現在トルコに住んでいますが、もし自分が亡くなった際には日本式の「火葬」で送りたいと考えています。
しかし、トルコはイスラム圏であり、法律上 火葬そのものが認められていません。
これは宗教的背景から来るもので、私自身はその事実を尊重しています。
同時に、日本は神道と仏教の文化を基盤とする国であり、伝統的にも制度的にも 土葬は一般的ではありません。
つまり、
「イスラム圏で火葬ができない」=「日本で土葬ができない」
という、極めて対等で公平な関係です。
どちらか一方だけが自由を求められる筋合いはありません。
そもそも、トルコに神社、お寺にお参り行きたくても、行けません。お寺も神社もないためです。
しかし、なぜ神道の日本にモスクを作る理由が見つかりません。
中東地域に、神社もお寺もなく、私は祈りに行くことをイスラム圏はそれらを存在させることを許さないためです。
ところが、イスラム圏の人々の中には、
「自分たちの国では火葬を禁止しているのに、日本ではイスラム式の土葬を望めると思っている」
という、明らかに矛盾した発想を持つ人が多いです。
これは、
“平等”とは何かを理解できていないことの表れ
で、実際にトルコで生活していると、この「平等概念の欠如」を日々痛感します。
さらに問題だと感じるのは、イスラム教徒の多くが
自分たちの宗教観を他者に押し付けているという自覚がないという点です。
そのため、宗教の違いを前提とした対話や議論が成り立たず、一般的な価値観の共有が極めて難しい場面は多く、非常に疲れることがあります。
そもそも、郷に従いたくなく、イスラム教を愛するものは、イスラム教の国にどうぞお帰りください。それだけの話です。神道の日本がモスクを設立する、または土葬をする検討の余地もないのが当たり前の話しです。
そしてトルコにいて学んだことは、宗教信者に対して、1番伝わりやすい対応は、宗教で返すこと。
「日本は、仏教と神道です。」この一言を伝えることが1番効力があります。宗教には宗教で返す。
日本は無宗教だと思っているため、無信者にたいして彼らは完全になめてかかります。これが彼らの本質です。
神道の日本に、モスクは存在してはならないのです。
中東地域に、神社とお寺が存在してはならないように。